粘土に夢中!

そんなにいつも「子育て」を意識しているわけじゃないけど、「子育て」って難しいなと思う瞬間がある。

今日の保育園のお迎えの時のこと。
帰りがけに、次男坊と同じクラスの男の子が2人でじゃれて遊んでいたんだけど、途中から相手の子が園庭の砂利を次男坊に投げつけていた。
まぁ、4歳児のすることなので「投げつける」と言ってもそれはそんなに強い勢いのものではないのだけど、目に入れば当然のようには痛いはず。
「次男坊はどうするのかな?」
と思って見ていたのだが、「少しはやり返せよ、ごるぁあ!」と親の私が思うほどにやり返さない次男坊。相手の子はエスカレートするばかり・・・。

しばらくするとそれが帰宅を促す長男坊の目に入った。

目がまともに開けられない状態の長男坊が、その子のおかーさんをかろうじて見つけてそのことを報告に行った。

だけど、そのおかーさんは様子を見ていないので事態がよくわからなかったのだろう、
自分の子を叱ることをしなかった。

その様子を見て、長男坊の仇を!と思ったのか、それとも「叱られない」と思ったのか?
急に次男坊がやり返し始めた。

で、私がどうしたか?

まずは次男坊に「止めなさい」と口頭で言ったが、次男坊は取り合わず、砂利をつかんで友達とやりあっていて私の制止をまったく聞かず、走り去ろうとした。

次の瞬間、次男坊が背中に背負ったかばんをむんず!!と掴み、それでも逃げようとするので、そこで次男坊にビンタ!!

保育園の庭で自分の子を殴りつける・・・

カッコのいいものでもないし、我ながらけっして褒められる話でもない。

だけど、怒るときは怒る!悪いものは悪い!


「お兄ちゃんみたいに目に入ったら痛い思いをさせる。
ひどいと目が見えなくなることもあるんだよ!近くにいる人にかかることもある!いいと思ってやってんの?」



「良くないと思う・・・」


「なんで自分だけ?」
そう思うんだろう、口では悪いと思うといっても、その口元には不満がアリアリと・・・。
一緒に遊んでいた子はいつのまにか園の庭からいなくなっていた。

「じゃあ、あんたは○○くんが石投げたら石投げるの?」
「○○くんが車に轢かれたら、後から付いていって一緒に轢かれるの?」

そう聞くと、首を横に振る次男坊。


子供の立場になれば、同じことをしていたのに自分だけが怒られるのは納得がいかないんだろう。それはすごくわかる。

次男坊としては相手の子の親なり、一緒にいたその子の兄弟がその子に注意すれば納得がいったのかもしれない。

でも、そんなことには関係なく、わが子にはきちんと「モノの善悪」、「人は人、自分は自分」ひいては「赤信号皆で渡れば怖くない」的な発想を身につけて欲しくない。

いいことはともかく、悪いことをしている相手と同じことをするのはいいのか、悪いのか?

そんな基本的なことはきちんと身に着けて成長させたい。

でも、楽なほうに目は向くもので、「怒られていない友達」の存在がどうにも素直に自分の非を認められない要因となっている次男坊。


家庭の方針はいろいろで、「子供とは常に会話で」とか、「手を上げるのは絶対にしない」
そんな家庭もあるとおもうんだけど、私は自分が育ってくる過程で、いま思えば、だけど
必要に応じて、いわゆる「愛のムチ」を食らってきた。
でも、それで親を恨んだりはしていないし、子供はある程度までは動物と大差がないというのが持論でもあるので(ヨソはともかく少なくともうちの子はそう。)時には調教も必要。


人前なんてことは関係なくって、「悪いことをした現場で、そのときに怒る」
これが大事だと思ってるんですよ。


4歳も半ばを過ぎると、自分と相手の立場や境遇を比較したりといろいろと子供自身の中でへ理屈も出てくるし、親の言葉もだんだん素直に聞けなくなってくる。
各家庭の親の教育方針もそれぞれだから、子供もそれぞれの価値基準を持つようになってくる。
そんな中で、ぶれずに自分の伝えたいことをきちんと子供に伝えて、きちんとしたマナーや常識を教えていくって意外と大変だなぁと思い始めた私でアリマス。


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そんなことを書きつつ、自分自身もきちんとした良識のある「大人」であるのか?
子供たちにとって、耳を傾ける価値のある「大人」であるのかがちょっと心配。

考えながらの子育てって、意外と自分自身のブラッシュアップになる。

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